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マスターの日記

カフェとコーヒーと、時々、農作業。。。そして、ワンちゃん Vol.10

【親父のこと、そして、「幸せ」って?】

なんだかんだと、Vol.10まで来ました。

三日坊主で終わらずに良かったです(笑)

 

今日、11月14日は親父の誕生日です。昨年の6月11日に息を引き取りましたが、生きていれば77歳。

まだまだ若かったと思われるかもしれませんが、最後の20年余りは病気との闘いだったので、身内からすれば、良く頑張ったねという気持ちです。

親父の病気は「脂肪肉腫」という癌の一種で、とても珍しい病気でした。脂肪の固まりが体内にできて、大きくなっていき、内臓に悪い影響を与えていきます。脂肪が主なので、抗がん剤などが効かないということで、出来て大きくなれば切って、また大きくなれば切ってということをしてました。ですので、手術は、7~8回程度したでしょうか。。。手術する毎に細くなり力がなくなっていく親父を見ても、どうすることもできない自分がいました。

最後の入院は、自分がふがいなかったのでしょう、元気になりたいから一度入院して力をつけたいという意志があったようですが、最後はその逆になってしまいました。

ホントに最後は痛みなどが辛かったのでしょう、自ら鎮静剤を要求しました。それは、意識をなくすということ、目を覚まさないということ、自分でも覚悟したはずです。でも、耐えられなかった。。。その処置に立ち会いましたが、最後の言葉が

「こんなはずじゃなかった。。。」

でした。

今でも耳に心に残ってます。その後も数日頑張ってましたが、結局は静かに息を引き取りました。

親父の死に立ち会ったことで、幸せな人生ってどういう人生なんだろうと事あるごとに考えるようになりました。それは前々から考えていたことなんですが、特に強く深く考えるようになりました。

お金があれば幸せなのか、欲望を満たせば幸せなのか、自分の思うままに生きれば幸せなのか。。。。

なんか考えれば考えるほど、わからなくなってきましたが、ただ、これだけは言えるかなと思ったことがあります。

生きている間は、欲望や欲求というのは際限がない。

それだけお金があったって、欲望を満たし続けたって、気ままに生きていたって、「もっともっと。。」っていう気持ちになりませんか?結局は満足できないんです。幸せとは思えないかもしれません。

だから、僕は自分の中で結論付けました。

「幸せだったかどうかは死ぬ時に自分にしかわからない。」

ということ。

人生なんて山あり谷ありじゃないですか。その時々で幸せだ不幸だっていうのはあると思うんです。お金があったって不幸かもしれません。気ままに生きていたって不幸かもしれません。逆に幸せだって思う方もいるかもしれませんが。。。。

傍から見たら幸せそうでも、本人はそうでもないと思っているかもしれませんし、その逆もあると思うんです。

でも、幸せだったかどうかって、人生最期の時に振り返ってみて感じることなんじゃないかなと思うんです。

最期に、「なんだかんだあっても楽しかったな」とか「周りが言うほど不幸でもなかったな」とか「本当に幸せだったな」とか思えればそれでいいんですよね。そう考えることにしました。

親父が言った最後の言葉には悔いが残っていたのかもしれません。ただ、息を引き取るまでの間、意識がなくても夢でもいいから楽しかった想い出を思い出してくれていたならいいなと今は思ってます。。。。なんて、親不孝ばかりしてきた僕が言えることではないんですけどね。

 

自分としては、どんな大変なことがあっても、たとえお金がそんなになくても、最期はみぃさんに「楽しかったね」と言える人生にしたいと思ってます。